人宿藍染工房の藍畑
静岡駅から車で10分ほど、かつて東海道の宿場町として栄えた「丸子まりこ」の一角に、私たち人宿藍染工房の藍畑があります。小さな畑ですが、種から藍を育て、染料の材料となる「蒅すくも」作り、さらには染め物として藍染商品になるまでを一貫して静岡でおこなうことを目標にしていました。ただ、残念ながら様々な事情で現在継続不可能になってしまいました。駿府の工房匠宿の花壇で訪れる方に藍をご紹介しています。現在は、当工房立ち上げの際ご協力頂きました徳島県から原料である藍を仕入れています。こちらでは、工房立ち上げ当時の藍の畑の様子をお伝えいたします。
最新の藍畑の様子
工房では鉢植えで藍を育てています。自由研究の題材にもご利用ください。
静岡と藍染のはなし
静岡駅北側すぐの繁華街に「紺屋町こうやまち」があります。
この紺屋(こんや・こうや)というのは藍染屋のことを意味しており、今川氏が治めていた時代には安倍川の支流を利用して染物が行われ、徳川家康が駿府城の主となってからは藍染職人が軒を連ねた場所です。その並びには呉服町があり、そこは静岡市の中心街となっています。大火や戦火により戦前の面影は少ない街ですが、徳川慶喜が暮らした屋敷の庭を残した料亭「浮月楼」もあり、徳川家ゆかりのお寺なども点在するエリアとなっています。
呉服町を北上すると右手に静岡葵区役所があります。その奥が駿府城です。駿府城のお堀の水も安倍川の支流を利用していました。
されに北側には新通・本通という東西に道があります。新通は旧東海道。この道を西側から駿府城を目指すと富士山と駿府城がとても美しく壮大に見え、徳川家の威厳を感じさせるために作られたとも伝わっています。
本通には安倍川の支流が続き、江戸時代から戦前にかけてこの周辺にも染物工房が点在しました。
染め物が盛んだった静岡市中心街の歴史。
当工房は静岡駅北口の紺屋町から歩いて15分ほどの場所にあります。
人宿藍染工房の藍畑で育てている藍ってどんな植物?
植物の名前は「蓼藍(タデアイ)」。高さ70cmくらいに育つ、タデ科の1年生植物です。道端に生えているイヌタデと同じ仲間です。
漢方薬の材料に用いられたり、奈良時代に日本に藍染が伝られてからは藍染の原料として、人々の生活に昔から関わってきた植物です。
Special Thanks.
現在工房スタート時に在籍していた職人が辞めたため休止中。ご協力下さった皆様申し訳ございません。
- 一般社団法人ジャパンブルー上板
- 地主さん、畑のご近所の皆さん